「芸術は爆発だ!」
誰もが知っているこのフレーズの生みの親「岡本太郎」。
TV出演などで見せたその個性的なキャラクターを覚えている人も多いはず。
彼の作品はその創造物の完成度だけではなく、それを創った「岡本太郎」本人の人間性そのものまでを含めて「芸術」として完成されているように思います。
その彼の「芸術論」とは
・芸術はここちよくあってはならない
・芸術はいやったらしい
・芸術は「きれい」であってはならない
・芸術は「うまく」あってはならない
というもの。(著書:今日の芸術より)
「岡本太郎」独特のセンセーショナルな言葉を使っていますが、
「芸術」に対して「こうでなければならない」とする固定観念を
ぶっ壊すための文字通りの「爆弾発言」。
慣習どおりにつくられた「安心して見られる」作品ではなく、
見る人の喜、怒、哀、楽の感情を、
強く動かせられるものを創るべきだ
ということなのだと思います。
では「デザイン」はどうなのか。
よく「デザイン」は「芸術」とは違うといわれます。
確かにそう。
結果利益を上げなければならない「商業デザイン」は
「芸術」とは違うプロセスを求められることも多いです。
だけど、きれいに型通りに収まったデザインの存在感の希薄さはどうか。
予想を良い方に裏切ってきたデザインの、感情を揺さぶるワクワク感はどうか。
今、デザインもソフトウェアでシステム化される時代。
その中で
「型」にはまってしまいがちなデザイン論やモノづくり論を
ちょっと疑ってみることも、今こそ必要なのではないかと思います。