8月31日(木) 晴れ
前日まで、外に出たら5秒で汗だくになるくらい暑かったのに、今朝はカラッとした心地いい気温。
見上げると、青く澄んだ空に綿毛のような雲の群れがふわふわ漂っています。
用意していた折り畳み傘を玄関に投げ捨て、出発時刻の15分前に、チャリで集合場所である会社の事務所へ向かいます。
「ちょっとちょっとここ津山よ?出発の15分前に家出るって遅くない?」と思われるでしょうが、何を隠そう、僕の自宅は事務所からチャリで3分の場所にあるのです。(坂を下るだけなので、たぶんスケボーでも同じくらいの時間で行ける)
僕が事務所に到着したときには、すでにマイクロバスがスタンバっていました。
全員の集合を待ち、出発前に記念撮影。
全員色違いのTシャツを来ているため、「なんかこれゴレンジャーっぽいな」と誰かが言い出したことにより、それぞれ自分なりの”ゴレンジャーっぽいポーズ”をとっています。
はじめましての方のために、ここでメンバーの紹介をしておきましょう。
写真右から、
ディレクター・おかもんシアン!
TTTeacher・ももふくピンク!
総務・おかみグレー!
デザイナー・しょーめいブラック!
社長・しゃちょーイエロー!
副社長・しらさんブルー!
旅人・タケマゼンダ!
注:おかもんシアンが登場するのはここだけになるかもしれません。というのも、おかもんシアンはディレクターだけでなく、兼カメラマンなのです。このブログで使用する写真はほぼすべて、おかもんシアンの撮影によるもの。なので皆さま、おかもんシアンの姿を忘れぬよう、ここで目に焼き付けておいてください。
ちなみに、少しわかりづらいですが全員同じカメの絵のTシャツを着ています。これがレプタイルの新スタッフTシャツ。
ただ、これ思いっきり市販のやつなので、市中で同じTシャツを着たひとを見かけても、そのひとがレプタイルの者であるという保証はありません。なので、見かけた際には、「もしかすると知らないひとかもしれない」という可能性を考慮しつつ、ドキドキしながら話しかけてみてください。おそらく、ほぼ間違いなくレプタイルの者です(というか、社員は平時はあまりこれ着ないので、十中八九、社長です)。ご安心ください。
さあ!いよいよレプタイルSHINE旅行2017 in 奈良が始まります!
奈良に向けてしゅっぱぁぁぁーーーーつ!!そして
かんぱぁぁぁぁぁーーーーーーい!!!!!!
出発して5分で2本目いくぜぇぇぇーーーー!!!!!いやっほーーーーーい!!!!!
(チラッ)
フッフー!…あ、すいません。静かにするのでどうか安全運転でお願いします。
そうこう言ってるうちに、休憩地点の加西SAに到着。各自それぞれ好きなように行動します。
と、思いきや、運転手さんを取り囲んで集合写真。隙がありません。
再びバスに乗り込み、高速道路をひた走ります。
車中で、スラムダンクの陵南高校監督・田岡茂一について熱く語るしゃちょー(たしか)
「信長をコントロールしてる海南の高頭も名監督ですよね!」と乗っかるももふくくん(たしか)
そんなことをわいわい話しているうちに、着きました、最初の目的地。
少し歩いて見えてきたのは…
平城京・朱雀門!でけぇ!!
朱雀門の前にはボランティアガイドのおばちゃんがいて、こちらの興味の有無に関わらず、地元愛丸出しのナイススマイルでめっちゃ語ってくれます。
朱雀門から北に目を向けると、奈良時代の日本の政治の核として機能していた太極殿(だいごくでん)が見えます。
やはりここでも集合写真。テーマは自分なりの”CDのジャケ写”
平城京の中を少し散歩。
人懐っこさがハンパないボクサーと出会い、撫でまくるしょーめいさん
昼ごはんの時間が迫っていたので、このあとすぐに平城京をあとにしました。
ところでみなさん、平城京歩いたことありますか?
今回、僕たちが歩いたのは、厳密には平城京の一部、『平城宮』と呼ばれる区域です。
実は僕、かつて「平城京ってどのくらいでかいんだろう」という疑問を解決すべく、『奈良時代MAP-平城京編』を片手に、平城京全域を3日かけて歩いたことがあります。それまで、平城京に関する知識なんて、「平安京の前のやつ…だよね?」くらいのもんでした。
せっかくなので、軽く平城京についておさらいしておきましょう。
平城京は奈良時代の都。”なんと大きな平城京”の710年に、少し南の藤原京というところから遷都(せんと:都の引っ越し)してきました。全体像は以下にようになっています。
右京+左京で東西南北約5km、外京を含めると東西約6kmにもなる巨大な都です。
(僕たちが今回訪れたのは、赤印で書いた朱雀門。で、遠くに見えたのが青印の太極殿)
朱雀門や太極殿がある区画は『平城宮』と呼ばれる場所で、天皇の住居と政治機能が集約された区域です。現在でいうと、永田町や霞が関の国会・官公庁がガッと皇居に集まった感じ。なので、役人のみが『平城宮』に入ることが許されていました。
一口に役人と言っても、かなり細かく身分が決められており、位が高いひとは『平城宮』の近くに住むことができましたが、位が低いひとは『平城宮』から離れたところにしか住むことができませんでした。夏場は始業時刻が午前6時半ごろだったそうで、九条大路×四坊大路の区画に住んでいるひとなんかは、夜明け前に家を出て、5km歩いて通勤していたことになります。(そんな僻地に役人が住んでいたのかどうか知りませんが)なかなかの過酷さ。職場までチャリ3分の場所に住んでる僕なんかは、時代が時代なら高級役人です。
平城京は約70年もの間、日本の中心となっていましたが、そのあいだに右京、左京、外京が等しく発展したかというと、そうではありません。
はじめは、右京と左京を同じくらいのペースで整備していたのですが、右京の南半分はもともと湿地だったため、「こんなジルジルのところ住めねーよ」という苦言を残して、みんな左京に引っ越してしまいました。右京は早い段階で廃れてしまいます。
そもそも人口に対して都が大きすぎたため、奈良時代も中盤になると、人々はさらに左京の北東部から外京にかけての地域に集中して住むようになります。外国の偉いひとに見せつけるために作られた幅75mの巨大な朱雀大路と朱雀門もそのころには荒廃を極めており、スラム化していたり、牛や豚の放牧場やごみ捨て場にまでなっていたという話。
鳴くよ(794)うぐいす平安京に平安京に遷都したあとは、急激な更地化が進みましたが、外京に形成されたまちは1200年経った現在でも繁華街として残っており、『ならまち』と呼ばれています。
僕たちが訪れた朱雀門や大極殿は、実は平城京遷都1300年記念事業で最近再建されたものであり、それまでは農地や草ボーボーの単なる空き地でした。新しい都に遷都したら古い都はどうでもいいというのが習わしらしく、元・皇居である『平城宮』内を近鉄の電車がバシバシ走っているのもそのためです。(1300年記念事業が始まるより前に、近鉄が線路敷いてた)
…まだまだ書きたいことあるんですが、文字数がやばいのでそろそろ旅レポに戻ります。
さて。平城京を楽しんだあとは、おまちかねの昼ごはん。
『釜めし志津香』でいただきます。
お店に入った瞬間、釜めしのほのかな香りが鼻腔をくすぐりまくります。
まずは、かんぱぁぁぁぁぁーーーーーーい!!!!!!(3時間ぶり2回目)
はじめに出てきたのが、籠に入れられた三つの小鉢。
うまい。
いや、ちょっと待ってくれ。刺身はもとより、サラダまでうまいってどういうことだ?釜めし屋だぞここ。
…まあいい。一旦落ち着いて、最後のおぼろ豆腐の小鉢を食べながら、こころ静かに釜めしを待とうじゃないか。
待つことしばし。
来た。釜めしだ。
なんという香り。よだれの分泌量が尋常ではない。
いいかみんな、ふたを取るぞ。
せーの!
パカッ
おー!!!
おおー!!!!!
いや、これうまっっ!!!!
おいしーーーい!!!!
うんうん、美味だね。美味だよこれは。
うまいもの食べたときって、個性出ますね。
社長が低姿勢でビールを注いでまわるというネタを挟みつつ
完食。
次は、奈良of奈良、東大寺に行きます。
しばらく鹿中心の画像になりますが、ご了承ください。
まずは、普通のTHE・鹿。
「きみ、鳴き声『メェー』じゃないよね?」な鹿。
「オスカー所属ですけどなにか?」な鹿。
ナラ・コレクション2017
レプタイル勢、みんな鹿好きなんですけど、なかなか愛が届かず、
「あの、すいません、ちょっと近いんですけど…」や
「触んないでください!」
になってました。
やっぱ鹿せんべい持ってないとダメですね。世知辛い世の中です。
気を取り直して…
東大寺・大仏殿!!!!くそでけぇ!!
平城京しかり、昔の人はでかけりゃでかいほうがいい的発想なんですかね。
大仏殿は瓦が重すぎて屋根がすぐにたわむので、これまで補修工事に莫大な費用を掛けてきたと聞きます。
余談ですが、奈良の大仏は「仏の力で、全国の飢饉や疫病、天災を無くしたい!」という天皇によるクラウドファンディングで作られました。制作費が当時の国家予算の3倍で、足りない分は行脚して集めたそうです。約10年、現在の金額で約3500億円をかけてなんとか完成までこぎつけましたが、大量の水銀を使ったため、制作過程で多数の水銀中毒者が出たらしい。本末転倒なのか、枝葉末節なのかはわかりませんが…。また、大仏はその後、落雷や戦火に見舞われるなど、割と散々な目に合っています。
大仏殿に入り、
「大仏って中学の時に見たのより今の方がでかくない?」
「あ、それわかります」
という、わからない会話を交わしたり、
柱に開けてある穴をくぐって喝采したりして、一通り楽しみました。
もはや恒例の集合写真。
このあと、東大寺敷地内にある東大寺ミュージアムのカフェでしばし休憩。
ミュージアムが所蔵する『誕生釈迦仏立像』を、おかみがなかなかのクオリティで実写化してくれました。
ちなみに『誕生釈迦仏立像』は、お釈迦様が生まれてすぐに7歩あるいて立ち止まり、天と地を指して「天上天下唯我独尊!」と叫んでいるシーンを再現したもの。おかみの顔がなんとなしに柔和なのは、釈迦に通じたからでしょうか。
このあと春日大社に行って、いろいろポートレートを撮りました。歴史的なあれはもう面倒なので省きます。
▼しゃちょーの渾身の可愛らしさが霞んでしまうほどの、しらさんからにじみ出るアイドル感。
しらさんブルーが春日大社の朱にはまり続ける一方、「タケマゼンダがどうしても世界遺産にはまらない」とおかもんシアンから苦情があったので、いろいろ試してみました。
どうやら、緑の中にいるのが一番座り良さそうです。(賛否両論あり)
ポートレートが集まったので、春日大社を後にし、宿に向かいます。
本日の宿はこちら
紀寺の家
ならまちの古い町家を1区画リノベーションしてあり、そのセンスの良さが尋常じゃない。建物の外観や内装は言うまでもなく、区画全体の空間デザイン、スタッフの接客に至るまで緻密に作り込んであります。
数々のリノベーション物件に泊まってきましたが、ここは『リノベーションした町家史上最高』。
▼縁側
▼中庭
▼ちょっとしたお心遣い
一応写真貼りましたが、紀寺の家の良さはフォトジェニックに収まりきらないので、是非上記のリンクからHPをご覧いただき、足を運んでいただきたく思います。
すべての家を一通り見て(1棟貸しの家を3棟借りた)、振り切れるほど上がったテンションのまま、夜のまちへ繰り出します。
目星を付けていたところが閉まっていたので、なんとなく入った居酒屋で
かんぱぁぁぁぁぁーーーーーーい!!!!!!(6時間ぶり3回目)
で、ここが、なにを飲んでも、なにを食べてもおいしいという奇跡のような店。
地酒の種類が豊富で、一つひとつについて米の種類やその産地から、割合、製法まで店長さんが丁寧に解説してくれます。
▼フルーティな味わいでサラサラ飲める『風の森』。
▼「まだ14年目の新人です」といって出された奈良漬。
スイカとキュウリとウリ。どれがどれかわからないほど黒い。一般的な茶色の奈良漬より濃厚な旨味とほのかな甘みが口いっぱいに広がります。
このほかにも、たくさんおいしいものを食べて、飲んで、おもしろい話をたくさんして、わけのわからない写真をたくさん撮りました。
わけのわからない写真がたくさんありすぎて選定できないので、ひとまず2枚だけ貼っておきます。
▼皆が敬遠するブルーチーズを頬張り、恍惚の表情を浮かべるももふくくんと、「いったでおい!」的な笑みのしゃちょー
▼ブルーチーズを食べ、「なにこれ腐ってね!?」的な表情のタケと、爆笑するしらさん
シメのメシを食べ、
そろそろ帰るかーというときに、どこからともなく
「うどん食べたいなぁ…」
というつぶやきが。
いきましょう!シメましたけどいきましょう!!
地元でうまいと評判のおでん屋に行き、
かんぱぁぁぁぁぁーーーーーーい!!!!!!(2時間ぶり4回目)
▼おでん!うまい!!
▼すじぽん!うまい!!
▼うどん!うまい!!写真ないけど!!!!!
という、なんだかもう壊れたテンションメーターがしばらく直らなさそうな1日でした。
「明日もこんなに楽しかったらどうしよう…」という謎の不安を抱えたまま、眠りにつきます。
もう社員旅行で消耗しない!-レプタイル式SHINE旅行 2017奈良の旅-(後編)はこちら