糸魚川市に来ています。
福井県大野市で糸魚(イトヨ)という川魚の養殖場を見学したこともあって、イトヨガワだと思ってたんですが、イトイガワなんですってね。
"糸魚川"という字面と"イトイガワ"という音を別で記憶していたので、2つが繋がったとき「あー、これがあの」と呟いてました。ちょっとした『これあの』が旅の楽しみでもあります。
(あと、聞いたところによると、この近辺にいまもむかしも糸魚川っていう川は存在しないんですって。どういう由来があるんでしょう。不思議です)
さて。
糸魚川は全域がジオパークという「大地を楽しもうぜ!」的なやつに認定されています。
ジオパークはいまや日本各地にたくさんありますが、ここ糸魚川が日本で初めての世界に認められたジオパークなのだそう。
というのも、糸魚川の地形は非常にユニークで、海から上がった直後にいきなり500m級の山があったりします。
姫川という川が作り出したわずな平地(扇状地)があるのみで、あとは全部山。
また、糸魚川はフォッサマグナ(地殻変動でできたくそでかい溝。上信越地方がほぼ丸ごと含まれる)の西端であり、地質的にも非常に興味深いということでその筋では世界中から注目されています。(僕はその筋ではないので詳しくはわかりませんが…)
市街地は平地部分にありますが、もちろん山の中でも、ひとは集落(ムラ)を形成して生活します。ただ、なにぶん日本海沿いに壁のように急峻な山が立ち並んでいるため降雪量が半端ではなく、かつては春になるまで数100m離れた隣のムラに移動することすら不可能だったそう。このため、そこに住むひとの自分のムラへのこだわりが非常に強く、ムラAから隣のムラBに引っ越しただけで、ムラAのひとから急に素っ気なくされたり、ムラBのひとに品定めされたりしたそうです。
豪雪地帯、山間部に限らずこういった話はよく聞きます。この旅でも何度か聞きました。
このことをヒントに、いま盛んに言われている"まちおこし"について少し考えてみます。
いわゆる"まちおこし"には、実行者のまちへの愛着が必要不可欠だと思っているのですが、この『愛着』というのは、他のまちとの比較の中でしか生まれないものだと思っています。
暫定的に自分のアイデンティティの拠り所(故郷)とする場所と別の場所(故郷になる候補地)とを比較して、前者が勝てばそのまま、後者が勝てば後者に故郷を更新しながらひとは暮らしていると考えるのですが、比較する場所がないまま生まれ育った地にアイデンティティを求め続けると、愛着を通り越して『執着』とか、故郷原理主義的な考えになるのではないかと考えます。
失敗するまちおこしは、こういったまちへの愛着なきひとが先頭に立って采配し、私的な動機・手法・目標設定のまま突っ走った結果なのではないかと。
『故郷への愛着』というのが、いつの間にかこの旅でのキーワードになっており、探している『面白いひと』というのも、単にワクワクを仕事にしているだけでなく、"その先にある公的な幸せを目指して生きているひと"であると、いろんなひとに出会ったことで納得しました。
…糸魚川のまちとはあまり関係ない話になってしまいました。
この日の宿が駅からバスで30分の山の中にあって、そのバスが2時間に一本しか来ないんです。山を見ながら「故郷ってなんだろうな」とか考えてました。
そんないい感じの僻地、糸魚川ジオパークの真っ只中にあり、自然を思いっきり楽しめる宿はこちら
元々旅館だったところをリノベーションし、ご夫婦で運営されてるんですけど、内部の装飾は多分9割方ご主人の趣味です。
リビングにはハンモックと南米っぽい楽器、懐かしいおもちゃが多数あり
二階の宴会場にはギターやドラムセット、奥にはツキノワグマの剥製が鎮座しています。
寝室は広く、近くにはいい感じの温泉と食事処があるので、この雰囲気が好きなひとや登山家、ナチュラリストには最高です。
水は地下水、裏の池からは天然ガスがポコポコ出てるのも面白い。
ご主人は埼玉県の出身で、糸魚川の自然に魅せられて移住を決めたそう。
ツチノコ探索隊という
多方面win-winな面白イベントを企画しており、好評を得ているそうです。
次は新潟県新潟市。新潟も大きいので、二部構成でいきます。
【わらしべ通信】
野尻湖でトレードしたLAMPオリジナルマグネット(常連さん限定)は、糸魚川の竹を使った竹ぼらになりました。
マグネットを持ってるのはスタッフのゆかりさん。LAMP堀田さんからの指名にも関わらず、完全に忘れてたので外出中のご主人と電話でトレードしました。ギリです。